☆中国旅行☆新京(2)

2007/09/21 // Posted in 2007年08月 中国旅行(長春・北京), 思ったこと  

前回の続きです。長春でのこと。
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長春について次の日、早速「満鉄社宅」を目指しました。昔の地図と『地球の歩き方』の地図を見比べながら、歩いて行きました。僕の泊まっていたところは街の中心部で、目指すエリアはそこから約2キロほど。祖母だって家族で買い物をしに街にでたかもしれないので、この道を歩いたかもしれない、と「かもしれない」なのに景色も感慨深く見えます。でも実際は、70年以上も前からそこに存在しているであろう建物は殆どありません。おそらく変わってないのは道路の幅くらい。満州国が建国され、長春を首都とし、「新京」と名前を改めたのは1932年。新しい国の首都にふさわしくすべく大規模な都市開発が行われました。再び長春という名前に戻った現在も、主要な道路や街の中心の巨大なロータリーなどは当時のままです。

覚悟はしていたことですが、満州当時から残ってそうな建物は、本当に見当たりません。ちょうど目の前に例の「跨線橋」が見えてきたところで、ふと見上げると!
花園1

















花園街(花園通り)。これか!?「花園3丁目」と「花園通り」はもちろん違うし、ここはまだ「社宅」エリアではないので、違うかもしれないが、ここかもしれない。違うとは思うけど、関係はあるかもしれない。右に折れて通りに入ってみます。

花園2

















花園3

















祖母の話によると、その社宅の建物は4階建てで、ひと階に2戸の住居があったそうです。しかし花園街にあるのは、集合住宅ではあるけど、祖母の言うような4階×2戸の建物ではありません。通りの端まで歩いてみましたがやはりそのような建物はありませんでした。

さてさっきの通りに戻り跨線橋を渡り、「満鉄社宅」のエリアに入ります。しかしやはりここにも4階×2戸の建物はありません。そうなんじゃないかとは思ってたけど、やはり70年前の建物、それもコンクリートの集合住宅なんて今の中国で残ってたら奇跡かも。がっかりしながらも、団地の中に立った市場を興味津々で見て回りました。

一筆書きで通りを塗りつぶすように「満鉄社宅」のエリアを歩き回ったのだけど、結局これだろうという建物さえみつかりませんでした。そもそもそのエリアかどうかもはっきりとは判らないですしね。

団地1

















団地2

















団地3

















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ちなみに、確実に祖母も利用したはずの長春駅もこのように現代的な建物に変わってました。

長春駅
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やはり70年という時間は長いです。

建物か、せめて手がかり的なものでも見つかるかも、なんてことは期待しない方がよかろう、と自分に言い聞かせながら行った長春でしたが、果たしてその通りでした。特に満州の後の歴史と現在の中国の発展の仕方を考えると、宮殿や役所でもない建物が残ってるのはまずありえないことでしょう。

長春は確かに新京だったし、それは北京から飛行機で一時間半で行ける所ですが、しかしもう新京ではありません。新京はもう「ない」街なのです。「場所」としては不変だけれども祖母の住んでいた新京は失われてしまったのです。にぎやかな市のたつ、長春の住宅街を歩きながら、そんな旧新京の街の中で、僕が最初に満州の話を聞いたときに感じた「それは遠いところなんだ」という荒涼とした草原のようなイメージが、もう一度浮かんできます。

「街」というのは「場所」で定義もできるけど、そこに住んでる人や時代も含めたものなのだろうなあとぼんやり思いました。「街」とは入れ物で、住んでいる人や背景となる時代しだいでは全く異なったものになってしまうのでしょう。僕が長春に行くことに関して、それほどまでには興味を示さなかった祖母はそれをちゃんとわかってたのかも、と今は思ってます。記憶の中の街は、ほんとに遠いところなのです。


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Comments (4)

  • shin より:
    ちなみ2クリックしときました。
    オチはkenが関西人ではないので期待しません!
    まー違う意味だろうけど。
    そっか。1から読んでていままで知らんかった祖母のこと少しは
    わかった。気がする。
    街についてのコメントはすごく共感できます。
    仕事で疲れて、やっぱそのような街のイメージで地元帰るけどちがうんよね。
    悩んでなかったあの頃を思い出したいけどさ、あんな唱和な地元はないんよね。。。往復\27,000-で帰れるhomeはないんだーってかんじます。
    長くなってすいません。初PCからなんでお許しを。
  • favourite より:
    あー、残念だったね・・・。
    やはり、中国ではムリだったか。ヨーロッパだったら意外と何か残っていたかもしれないのにね。
    最後の2パラ、非常に感慨深いです。
  • Ken より:
    shin、
    ばあちゃんは新京でよりもジャムスという街での方が思い出多いみたいなんだよねー。もっと訊いたらもっとトピックが出てくるかも、と思ってます。
  • Ken より:
    favouriteさん、
    ヨーロッパだったらちょっとは違ったかもねえ、と僕も思いました。
    長春も、関東軍の役所とか逓信部などの省庁の建物はあったんですけどね。当時と比べると人口がものすごく増えてるのでしょうがないのでしょうね。
    ちょっと調べたところによると・・・
    人口:新京—180万人(時期不明、でも満州時代)
       長春—712万人(時期不明、でもWikiに載ってたから最近)

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