関西を訪れるのは4年ぶりくらい。確か前回は同窓会かなんかで1泊だけの滞在でした。でもちゃんと離れてからは何年も経つわけだし、でも根をおろして生活したこともあるし、しかし根をおろしてた時からは十何年も経ってるし。旅行中は「旅行」気分を味わうことになるのか、「懐かしい」気分に浸るのか出発前は自分でも想像できなくて、自分がどんな気持ちになるのか、も楽しみにしてたことの一つでした。
結果はというと、「旅行」気分は少し、と「懐かしい」はあまりなし、それと「違和感なし」でした。例えば梅田なんか新しいビルがたくさんできてて、街を歩いてても新鮮な気持ちで僕にとっては「旅行」だったけど、当時のバイト先は建物も全くそのままで、懐かしというよりも違和感なく、そのままそこで仕事しちゃえそうでした。(と書いてから「違和感なし」が「懐かしい」に相当するのかも、とも考え中)
やはりというか特に僕はヨソに行くと言葉が気になります。言葉を通してヨソを感じることが多いです。今回は「大阪ネイティブ複数VS僕」でお食事、というシチュエーションが何度もあったのですが、大阪人同士の生の会話を目の当たりにすると異国情緒を味わえるのではないかと期待してたんです。電話では時々大阪の友人と話すことはあったので、一対一で大阪弁に触れることはあったんだけど大阪弁が”母国語”の地域でネイティブ同士の会話に加わるとやはりより「ヨソ」を体験できるのでは、とワクワクしてました。
ところがその場に居合わせても「そうそう、これ、これ、その音の高低とスピード!」などど関心することもなく、フツーに聞けてました。出発するまではあれほど期待してたのに大阪弁を聞いてるってことも忘れてました。始めからなんにも違和感なく。家のテレビで大阪弁の番組を見てる時は「ああ懐かしいなあ」と感じることはあるんですが、生会話だと全然。自分でも不思議だなあと思います。
一度身についたもの(大阪弁を生で聞くのが当たり前の生活)は何年経ってもすぐに再現するもんなのかなあと考え中。それとも懐かしさ余って気持ちが十数年前に戻ったのかなあ。
Comments (2)
ボクは生まれも育ちも関西で、20代後半に上京したのですが、関東の言葉には全く違和感を感じることなく、自分では完全に同化しているつもりです。上京した頃、江戸っ子ドライバーのタクシーに乗ると、どこまで通じるか何度か試しましたが、全てクリア。(笑)
今も東京で仕事をしているわけですが、関西出身だというとビックリされます。ビックリされるのが面白いので内心ほくそ笑んでおりますが、スイッチを切り替えると即大阪弁が話せます。(爆)
逆に、最近は関西言葉の音、イントネーションの方が違和感を覚えがちで、関西にいる弟と話す時でさえ妙な感じなのです。こちらも関西弁で話しているのに話相手の関西弁に違和感、、、これって問題あるのかなぁ?(^^ゞ
英会話でココまで出来ればさぞや気持ちがいいと思うのですが、、、不勉強ゆえこれは無理そうです。(^^;;;