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十六夜

2007/09/30 // Posted in 1. 日記  |  No Comments

十六夜鳥居



















十六夜、近所の神社で。

その日の夜遅くになって中秋の名月ということに気づき、
写真を撮ったのは次の日。こういう季節のイベントは、特になにもしないにしても
気にはしてるつもりだったんですが、気づきませんでした。
でも吉田兼好のいうように
「月は隈無きをのみ見るものかは」
です。
これはこれでいいんです。
***************************************::
中学生のころ、NHKで『漫画で読む古典』という番組をやってました。
たしか、詳しい文法解説とかはあんまりなくって、現代語でカジュアルに
内容や時代背景を紹介してくれる番組でした。
古文の知識がなーんにもないのに、ぐいぐいその世界に引き込まれたのを
覚えてます。
どのシリーズも見たんですが、枕草子、徒然草といった随筆を取り上げた

シリーズが好きでした。観察眼の鋭さと主張の鮮やかさに惹かれたのです。
その後、枕草子は参考書かって全段読んじゃったくらい、
僕にビビッドな影響を与えました。

21世紀の現代ではいろんなことを言う人がいるので、
例えば「月は隈無きをのみ見るものかは」的なことを言っても、
「ちょっとひねくれた人が、アンチ・ミーハー的なことを言ってるなあ」
って済まされちゃうんでしょうけど、鎌倉時代に、ですもんね。
さぞ目新しかったことでしょう。
***************************
中秋の名月ドンピシャじゃあなかったとはいえ、
写真の月も「隈なき」ではないです。「満月」の範疇にはいる形です。
次に月に気がついたときは「隈無きをのみ見るものかは」
を思い出してみることにします。

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英語で”ミャンマー” | ビルマ語/ビルマ文字

2007/09/28 // Posted in その他外国語  |  No Comments

電車の中ではiPodでBBCのニュースを”ポッドースト”で聞いてます。
今日気になったのは「ミャンマー」。そういえば「ミャンマー人」って英語で?

「ビルマ」だった時代は、

ビルマ:Burma
ビルマ人/ビルマの:Burmese

だったのは知ってたのですが、ミャンマーになってからは知りませんでした。

ミャンマー:Myanmar
ミャンマー人/ミャンマーの:Myanmarese

音のイメージ的には「チャイナ/チャイニーズ」のような変化の仕方ですね。
ちなみにドイツ語では・・・

ミャンマー:Myanmar
ミャンマーの:myanmar
ミャンマー人(男): Myanmare
ミャンマー人(女): Myanmarin

*”ミャンマリン”ってなんだかかわいい響きだ。

====================
もうちょっと気になって調べてみた。ビルマ語について。

音の感じはこちらで。(NHKワールド)
聞いた第一印象は「韓国語に似てる?」でした。

文法や文字は、Wikipediaによると、

・基本的な語順は「主語+目的語+動詞」であり、東南アジアの主要言語の中では唯一、日本語と同じ骨格をもつ。

ということは周囲のタイやバングラデシュの言葉とは感じが違うんだろうなあ。

・子音を表す基本字母の周囲に母音記号と声調が組合わさり文字を形成する。

「周囲に」というところに興味津津です。
その「ビルマ文字」はこんな見た目です。ここ。(←注意!PDFが開きます。)

まるっこくてかわいい。
どんな文字にも字の上手な人がいるもんだが、
ビルマ語の達筆による人生を説いた格言を書いた掛け軸のようなものが
もしあったら、どんなにいかめしいことを書いてても
穏やかな感じになってしまうのかなあ。


ハイフネーション

2007/09/27 // Posted in 英語  |  No Comments

僕の使ってる電子辞書にはジーニアス英和大辞典が入ってます。
紙のもの(「大」じゃない普通の辞典)を使ってた時期も含めるとジーニアスとの付き合いはもう10年以上になるんですが、今日はじめて気づいたこと。

ジーニアスの見出しの単語は、
dic・tio・na-ry
のように音節を区切って表示してあります。
音節の区切りを示すと共に、ハイフネーション(行末で単語を分割)するときにどこで切ったらいいかを教えてくれます。(と英語の先生に習った)

でもよーくみると
中黒=「・」
短いハイフン=「-」
の2種類があります。この違いは何は?
あらためて紙の辞書で、「この辞典の使い方」を見てみると、

(小さい中点)行末で切るときはここで切ってよい。
(細い短いハイフン)行末で切るときはここで切らないほうがよい。

とのこと。そういえば”ry  “で始まる文は気持ち悪い。
でも手書きじゃ単語は分割しないし、PCでも勝手に改行してきれいにしてくれますしね。きっとこれはタイプライター時代に役立った情報だ。

ちなみのほかの辞書では全て「・」で区切ってるものが多かったです。
こういうところも、ジーニアスは良くできてるんだ、と感心しました。
(僕にとっては特に有益では無いけど・・・)


ハイフネーション








ジーニアス英和辞典



ハイフネーション








ジーニアス英和大辞典


MOLESKIN (モレスキン) City Notebook 

2007/09/26 // Posted in その他の旅行  |  No Comments


city notebook








MOLESKIN City Notebooks

昨日、本屋の旅行ガイドブックコーナーで見つけて欲しいなあと思ったもの。
MOLESKINというメーカーのノートです。
使いやすい手帳で有名なモレスキン製の「自分で作るガイドブック」。
(同社サイトによると”モレスキン”との表記。”モールスキン”とばかり思ってました)
街の地図と地下鉄路線図、通りインデックスなどが印刷してあり、
あとはレストラン、美術館など下調べしたものを自分で書き込みます。
そして旅行中はオリジナルのガイドブックとして、また旅行の記録張としても活躍します。
切り離しのしやすいページもあるので、旅行中に知り合った人と連絡先を交換するのにも便利。

・・・って僕は使っても、買ってもないんですけどね。
きっとこんな風に使うんだろうなと思って。

ところで
使い道を思案して創造力を掻き立てるような設計もさることながら、もう、このオビ!


CDG
















飛行機のバゲッジタグそっくり!
これはパリのものですが、シャルルドゴール空港の空港コード”CDG”が書かれてます。

うずうずしますね。


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☆中国旅行☆中国のピクトグラム

2007/09/25 // Posted in 1. 日記, 2007年08月 中国旅行(長春・北京)  |  No Comments

今日は中国のピクトグラムを紹介します。
言葉がわからなくてもわかるように、また
言葉の意味を補強するように、と使われるピクトですが、
いろいろと気になったので、たくさん撮ってみました。

10すべる0011

空港のトイレの前で。すごく派手に滑ってます。肩もすくめて。

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☆中国旅行☆新京(2)

2007/09/21 // Posted in 2007年08月 中国旅行(長春・北京), 思ったこと  |  4 Comments

前回の続きです。長春でのこと。
************
長春について次の日、早速「満鉄社宅」を目指しました。昔の地図と『地球の歩き方』の地図を見比べながら、歩いて行きました。僕の泊まっていたところは街の中心部で、目指すエリアはそこから約2キロほど。祖母だって家族で買い物をしに街にでたかもしれないので、この道を歩いたかもしれない、と「かもしれない」なのに景色も感慨深く見えます。でも実際は、70年以上も前からそこに存在しているであろう建物は殆どありません。おそらく変わってないのは道路の幅くらい。満州国が建国され、長春を首都とし、「新京」と名前を改めたのは1932年。新しい国の首都にふさわしくすべく大規模な都市開発が行われました。再び長春という名前に戻った現在も、主要な道路や街の中心の巨大なロータリーなどは当時のままです。

覚悟はしていたことですが、満州当時から残ってそうな建物は、本当に見当たりません。ちょうど目の前に例の「跨線橋」が見えてきたところで、ふと見上げると!
花園1

















花園街(花園通り)。これか!?「花園3丁目」と「花園通り」はもちろん違うし、ここはまだ「社宅」エリアではないので、違うかもしれないが、ここかもしれない。違うとは思うけど、関係はあるかもしれない。右に折れて通りに入ってみます。

花園2

















花園3

















祖母の話によると、その社宅の建物は4階建てで、ひと階に2戸の住居があったそうです。しかし花園街にあるのは、集合住宅ではあるけど、祖母の言うような4階×2戸の建物ではありません。通りの端まで歩いてみましたがやはりそのような建物はありませんでした。

さてさっきの通りに戻り跨線橋を渡り、「満鉄社宅」のエリアに入ります。しかしやはりここにも4階×2戸の建物はありません。そうなんじゃないかとは思ってたけど、やはり70年前の建物、それもコンクリートの集合住宅なんて今の中国で残ってたら奇跡かも。がっかりしながらも、団地の中に立った市場を興味津々で見て回りました。

一筆書きで通りを塗りつぶすように「満鉄社宅」のエリアを歩き回ったのだけど、結局これだろうという建物さえみつかりませんでした。そもそもそのエリアかどうかもはっきりとは判らないですしね。

団地1

















団地2

















団地3

















***************
ちなみに、確実に祖母も利用したはずの長春駅もこのように現代的な建物に変わってました。

長春駅
***************

やはり70年という時間は長いです。

建物か、せめて手がかり的なものでも見つかるかも、なんてことは期待しない方がよかろう、と自分に言い聞かせながら行った長春でしたが、果たしてその通りでした。特に満州の後の歴史と現在の中国の発展の仕方を考えると、宮殿や役所でもない建物が残ってるのはまずありえないことでしょう。

長春は確かに新京だったし、それは北京から飛行機で一時間半で行ける所ですが、しかしもう新京ではありません。新京はもう「ない」街なのです。「場所」としては不変だけれども祖母の住んでいた新京は失われてしまったのです。にぎやかな市のたつ、長春の住宅街を歩きながら、そんな旧新京の街の中で、僕が最初に満州の話を聞いたときに感じた「それは遠いところなんだ」という荒涼とした草原のようなイメージが、もう一度浮かんできます。

「街」というのは「場所」で定義もできるけど、そこに住んでる人や時代も含めたものなのだろうなあとぼんやり思いました。「街」とは入れ物で、住んでいる人や背景となる時代しだいでは全く異なったものになってしまうのでしょう。僕が長春に行くことに関して、それほどまでには興味を示さなかった祖母はそれをちゃんとわかってたのかも、と今は思ってます。記憶の中の街は、ほんとに遠いところなのです。


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☆中国旅行☆新京(1)

2007/09/18 // Posted in 2007年08月 中国旅行(長春・北京), 思ったこと  |  7 Comments

まだ旅行のこと書いてます。
2回に分けて、長春に行った理由を書いてみます。

***********************

僕の祖母は今年の誕生日を迎えて82歳になりました。大正14年生まれです。生まれは熊本県で小学校に入る前から満州で育ちました。終戦までを満州にいたので、「若いとき」と呼べるような時代の大半を大陸で過ごしたことになります。

満州の話は、僕が小さいころからたくさん聞いてました。中でも最も印象的なのは「新京の住所」の話です。

満州の首都、新京にいたときの祖母は幼稚園入学前。満州鉄道の社宅である団地に住んでいたのですが、あるとき家の近くで遊んでいるうちに迷子になってしまって、近所の人に連れて帰ってきてもらいました。同じ形をした集合住宅が立ち並ぶ社宅団地だったので、幼い子にはわかりにくかったのでしょう。それ以来、祖母の両親は祖母に、住所を暗誦させました。

「新京花園3丁目30号の1」

困ったことになったらこの住所と名前を言うように祖母はしつけられました。そして70年以上経った今も、祖母はそのフレーズをちゃんとそらで言えるのです。三つ子の魂百まで、はどうやら本当のようです。覚えてる祖母自身も「よう覚えちょるわ」とのこと。

「満州」というところはもう存在せず、今は中国であること、日本ではないけれどでも日本のような、でも明らかに「大陸」の生活環境だったことも教えてくれました。外国に行ったことの無かった僕には「大陸」というのもうまく想像できず、「日本でない所なのに、なぜ日本語で生活ができるのか」など難しいことだらけでしたが、とにかく「遠くて寒い所にばあちゃんは住んでたんだ」、と理解しました。

「新京はムカシのところ」「満州はもうない」「愛新覚羅溥儀」「新京は現在の長春」「冬は凍った川でスケート」「おいしいピロシキ」「二重窓」「北京から飛行機で一時間半」「日本のものよりずっと幅の広い線路の上を走る列車」などなど、祖母から聞いたことや歴史の時間に知ったこと、自分で調べた知識の断片が積み重なって、長春に行ってみたくなりました。そこに祖母の知り合いがいるわけでもないし、祖母がどうしても今の街の様子を見たがったのでもないのですが、自分の目で見たかったのです。

長春に行くことが決まってから、まず新京の地図を探しました。幸い、ネットで簡単に昭和12年当時の新京の市街地図が手に入りました。祖母が新京にいたのは昭和3~8年くらいと思われるのでまあ、だいたいOK。さっそく地図の中に「花園3丁目」を探しますが、見当たりません。市街地図とはいえ全ての地名は載ってなかったのです。だた手がかりとなるのは線路の横に書いてある「満鉄社宅」の表示があるエリア。そこだけ周辺とは違って住宅地を示す色に塗られてます。新京市内に、他に満鉄の社宅がなければ、これが昔の祖母の家のあった辺りですが、自信はありません。

地図を持って今は別府に住む祖母を訪ねてみました。地図を広げて見せたのですが、「あらー、わからんねー」とのこと。かなり拍子抜けでした。祖母の家に向かう途中は、地図を広げた瞬間、祖母は地図に見入り、あれやこれやと思い出を語り、「ここ!ここ!」と指をさすだろうと想像してたのに。小学校入学前だし、70年以上も前だし、そりゃ当然か。なんとか得られた情報は「学校に行くときに川を渡るのだが、冬は凍った土手を滑り降りて遊んだ」「近くに広い野原があった」「街の中心部までは遠かった」。でも多分、その線路脇の「満鉄社宅」が、それであろうとのこと。近くに橋(でも線路を渡るための「跨線橋」)はあるし「ゴルフ場」(野原?)はあるしということで、その「満鉄社宅」が「そう」であることにします。


次回に続く

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オランダ | アムステルダム近くで風車

2007/09/14 // Posted in その他の旅行  |  2 Comments

自分用メモ

アムステルダム近くで風車を見たい。
Zaanse Schans /  Koog-Zaandejk駅 (Amsterdam Centraalから20分)


オランダ政府観光局にもちょっと情報あり。

オランダ語 | 「トイレはどこですか?」

2007/09/14 // Posted in オランダ語  |  No Comments

Waar is het toilet?
「ヴァール イス ヘット トワレット」

アルクのサイトで音声が聞けます。

久々にオランダ語をやってみます。
とりあえず、本当に使いそうなフレーズを。

ちなみに
独: Wo ist die Toilette?

やはりオランダ語は、ドイツ語にも英語にも似てるなあ。

夕焼け 18:42

2007/09/09 // Posted in 1. 日記  |  4 Comments

夕陽2007_09_09_18_42

















先々週の日曜日にも美しい夕焼けに出くわしたが、今日も。
ちょうど西に向かって車を運転してたんだけど、
山を越えたら急に赤い空が広がって眠気が一気に覚めた。
車を停め、近くの川土手を降りて写真を撮った。
ひとしきり撮った後、土手を登ったところでお散歩中のおばちゃんに
「きれいな夕陽ですね」と話しかけられ、それからしばらく世間話。
彼女はお寺の奥さんで、趣味は俳句だそうだ。
最後に、僕が今撮った川辺の写真を送ることを約束して住所を教えてもらった。
秋の始まりの夕焼けが俳句になるといいなあ。



Herbstanfang | 秋の始まり

2007/09/05 // Posted in ドイツ語  |  2 Comments

ここ何日か、ちょっとは「秋か?」、と思える瞬間もありますね。
虫の声が大きくなった気がします。

どうやらドイツ語圏には、季節の区切りが二つある模様。
まさとさんのblogを読んで、気になったので。

たとえば「秋の始まり」という意味の独単語 “Herbstanfang”「ヘアプストアンファング」も、従って、これら2種類が存在します。

Meteorologischer Herbstanfang 「気象学的秋の始まり」
Astrononischer Herbstanfang 「天文学的秋の始まり」

「気象学的」な季節では、
3、4、5月=春
6、7、8月=夏
9、10、11月=秋
12、1、2月=冬


と月で区切ってある模様。

一方「天文学的」な季節では
春分~夏至=春

夏至~秋分=夏
秋分~冬至=秋
冬至~春分=冬

ということになってます。

***************
カレンダーには、だいたい「季節の始まり」が記載されてます。
これは “22. 9. Herbstanfang” = 「9月22日 秋の始まり」
(2005年用カレンダーの挿絵の横に書いてある、記念日一覧より)
c4912db8.jpg














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☆中国旅行☆万歳。

2007/09/03 // Posted in 2007年08月 中国旅行(長春・北京)  |  4 Comments

天安門獅子まだまだ中国の話してます。記憶が薄れないうちに、とは思うけど、
なんとなく、ちゃんと書かなきゃって気がして、のびのびになってます。
ちゃんとかかなきゃいけない理由はないんですけどね。
*****************

5月にNikonのD40というカメラを買って以来、デジタル一眼レフの楽しさを堪能してます。今回の旅行にももちろん持って行きました。大きなカメラ、デジタル、しかもNikonという三要素をもつD40くんは、中国ではとても目立つ存在でした。シャッターを切らなくても、カメラを持ってるだけですれ違う人に見られます。立ち止まって写真をとろうもんななら、「太好!今とったの見せて見せて」と呼び止められます。

SDカードが、足りるか足らないかのところだったので、この際買っちゃってもいいかもと思い、電器屋に行ってみたんですが、僕の欲しかったSDカード2G は日本円1万円以上。(僕は出発前にビックカメラで4000円以下で買った。)とんでもない値段です。メモリがこんな値段なんだから、デジタルカメラがどんな値段なのか想像できます。実際、今回の旅行中、デジカメを持ってる人にはあまり会いませんでした。

ところで一人旅をしてると、同じく一人旅をしてる人と知り合いになることが多いです。今回も、雍和宮(ようわきゅう)で声をかけられた人としばらく行動を共にすることになりました。 北京を旅行中の、現在日本在住の中国出身の子だったので、雍和宮でも、その後の王府井での買い物でも、言葉の面でずいぶん助けられました。みやげ物やを見て回ったりした後、夜になって「今日はたくさん歩いたからマッサージに行こう」ということになり、漢方州というマッサージ屋に行ってみました。

でも漢方州の受付を担当してた青年の情報によると地下鉄の終電は22:30くらい。今から僕達がマッサージを受け終わると確実に終電を逃します。そのマッサージ屋の最寄り駅は建国門、僕の宿の最寄り駅は和平門。その距離で深夜料金のタクシーだと、いくらくらいかかるかなんかも教えてくれました。タクシーで帰るにしては遠い場所に来ちゃってたし、ということで今回はマッサージは無し、ということに。まあ残念だけど、マッサージは日本にもあるしね。

行動を共にしてた子ともアドレスなどを交換して別れ、僕は和平門駅に着きました。改札を出たところに書いてあった注意書きの看板が面白かったので写真を撮ろうとかばんを探ってみたけど、カメラがない!かばんとは別に、買い物袋を下げてたけれど、その中にもない。失くした。本当に手が震えてました。カメラを、少なくとも手から離して置いたところは、喫茶店、ポロシャツを買ったときの試着室、などなど。たとえ思い出したにしても、あのカメラが無事なはずない。絶対に盗られる。(とっても充電器ないから、君、むだだよ、とか、いくらで売られるんだろ、と思った)しかも明日の朝の飛行機で日本に戻るから、じっくり探したりすることもできない。(保険申請するにも被害届っているかな)でも多分最後に撮ったのは、漢方州に入る直前のコンビニ店内だったから、カメラは漢方州のはず。(ここでやっと「最後に見かけたとこは?」を思い出そうとした。それまで動転して、その一番大事なことを思い出すことも思いつかなかった)でも「そんなのなかった」といわれたら、アウトだなあ。。。

漢方州の青年は英語が通じなかったので、急いでホテルに帰り、中国語で電話してもらうことにしました。(さっきまで行動を共にしてた子も中国で使える携帯は持ってなかった)途中で思いついて、とにかく英語で電話してみることに。(携帯もっててよかった)ガイドブックを見て番号を押すもつながらない。そりゃそうです、中国の国番号から押さなきゃいけないのに、日本の国番号を押してました。ホントに参ってたんです。しかもつながっても英語はまったくわかってくれません。やはり走ってホテルに。

フロントの人は英語ができるので、事情を説明して電話をしてもらうことに。しかし電話には誰も出ない様子。もう少し後でかけてみるとのことで僕は近くにあったソファーで待ってました。でもフロントのお兄ちゃん、電話をかける様子がない。僕としてはじゃんじゃんかけて欲しいのに。。。しょうがないので、自分の携帯でもう一度かけてみたところさっきの受付青年と思しき男性が出ました。とにかく”Moment please”を連呼し、手のすいてた女性スタッフに電話を渡します。”It’s emergency. Help me. I left my camera there.”とだけ言って。彼女はこんな説明でも状況を判ってくれたみたいで、何事かを中国語でしゃべります。
「カメラは何色ですか?」
女性スタッフは確認を求められた様子。
「黒、黒のニコンです」
そしてまた中国語。短いやり取りの後、僕に向かって、
「あるみたいですよ!よかったですね。いつ取りに行きます?」
「今すぐ、タクシーで」

もう即答しました。さっきタクシーに乗るのは高い、とか思ったのに。部屋に荷物を置きに行き、すぐにタクシーに乗り込み、建国門に戻りました。タクシーはちょうど天安門広場の東側を北上します。この時間になると観光客も少なくなって、本当にがらんとした様子。カメラは戻ってきても、SDカードはなくなってるかもね。だって1万円だし。。。オレンジ色のライトが照らす石畳を見ながら、あらかじめ諦めておこうとしてました。

さて漢方州にもどってみるとドアが閉まってました。でも照明は点いてたのでノックしてみると、先ほどの受付青年が出てきます。「さっき電話した、カメラを忘れた者ですけど」って言いたかったけど、そんな中国語はわかんなかったので「camera」とだけ言ってみました。青年は受付カウンターの下の戸棚から僕のカメラを出してくれます。間違いなく、僕のD40!「謝謝!」と何度も言って、うれしさのあまり、握手までしちゃいました。店を出てSDのスロットを開けてみたけど、カードはちゃんと入ってます。疑ったのが、ちょっと申し訳ない気分でした。

わりとすぐにタクシーは見つかり、「和平門の地下鉄駅まで行ってください」もすんなり中国語で通じて、ほっと安心。車はまた天安門広場にさしかかります。カメラ盗られるかもと思ってみたのを申し訳なく思ってみたり、何年か前の中国だったら盗られてたかなとか、発展のおかげか?と考えてみたり、また「あのワンタンがおいしかった」とか、今度は京劇も見てみたい、なんていろ